世界線終点

形而上学や行為に関する(主に哲学的な)文献の読書ログ

Ehring, D(2011)."Tropes"/要約part.3

一章前半では例化関係に注目した3つの理論とアリストテレス主義的定式化を取り上げ、例化理論群が性質/個物の区別に陥ること、アリストテレス的定式化が反例に対応するため単純さを失うことを論じた。

今回はD. C. Williamsの類似性を用いた区別が最もふさわしいことを論じる。

 


3.類似性理論

アリストテレス的定式化の変形は、普遍者を「外在的関係に頼らず同時に複数の位置に存在得きるもの」とし、その能力のないものを個別者とする。このことは複数の場所にある普遍者が同一であることを保証する。

では逆に、異なる場所の普遍者の間に成り立つ内在的関係を用いた区別は可能だろうか?

3.1 不正確な類似性と部分的同一性

Armstrongは普遍者が他の普遍者から構成されることを認め、普遍者の間の不正確な類似性を普遍者の部分的な共有として考える。普遍者「10グラムの質量であること」は普遍者「5グラムの質量であること」とその構成要素を部分的に共有していることにより類似性をもつ。

このアイディアをもとに普遍者と個別者の区別を引くとこうなる。

  • 個別者は、「不正確な類似性が部分的な同一性の十分条件となる」という原理に従わないものであり、普遍者はそれが当てはまるものである。

しかし二つの理由からこの区別は疑わしい。

一つには、Armstrongの議論によれば、単純な普遍者の間で不正確な類似性が成り立つことはありえない。だが例えば色が単純な普遍者だとするとまずいことになる*1

また、個物が普遍者を性質として持っていた場合、個別者間の不正確な類似性が部分的な同一性を含意してしまう。この段階で普遍者の存在を排除するのは我々の望むところではない。

 

3.2 正確な類似性と同一性

そこで取り上げるのはD. C. Williams他が提案した理論である。そのアイディアとは、「普遍者は不可識別者同一の原理に従うが、個別者はそうではない」というもの。

ここでこの主張を「正確な類似性による定式化/Exact Similarity Formulation」もしくはESFと呼ぶことにする。


3.2.1 「xと同一である」

しかし、不可識別者同一律は個別者についても当てはまるとする反論がある。それによれば、すべての個別者xは他のすべての個別者と内在的に異なっていなければならない。なぜならxが、そしてxだけが「xと同一である」という内在的性質をもつからである。


この反論に対応するためには、Williamsが「内在的」という語をどのように用いたのか明確化しなければならない。ここでは内在的性質に関する文章に登場する三種類の内在性概念を検討する。


非関係的-内在的/non-relational-intrinsic

xが関係的性質を持っているということは、xが(xとは別個の*2)yと何らかの関係に立っていることである。

 

質的-内在的/qualitative-intrinsic

質的-内在的性質とは(可能的な)複製とオリジナルが共通してもつ性質のことである。

 

内的-内在的/interior-intrinsic

内的-内在的な性質は、個物がそれ自体によって、他の何にも依存せずもつ性質のことである。


この三つのうち質的-内在的の見方をとった場合にのみ、個別者についての不可識別者同一を必然的真理にすることなく解釈できる。

正確な類似性による定式化における「内在的」を質的-内在的であると解釈すると、定式化は以下のようになる。

  • xと同一でなく、かつその非内在的性質に頼らずxに正確に類似したyが存在しうる場合にのみxは個別者であり、そのようなyが不可能である場合にのみxは普遍者である。

 

3.2.2 性質の個別化とWilliamsの定式化

トロープの可能性を考えると、この定式化は性質に対しても適用可能でなければならない*3

性質の複製について考える上で、性質がどのように個別化されるかについて簡単に述べておく。

カテゴリカルな本質によるもの、法則的/因果的役割によるもの、そのどちらも利用するものの大きく分けて3つの方法がある。

因果的説明や自然法則に現れることは性質の大きな特徴だが、「因果/法則的役割」派はこの特徴を性質にとって必然的なものだとみなす*4

一方で、性質の本質をカテゴリカルなものとみなす立場は、性質のあり方は法則にも因果的にも決定されず、その本質/quiddityによって決まると考える。

これらの個別化は基本的に正確な類似性による定式化と親和的だが、カテゴリカルな個別化の変形の一つ、弱いカテゴリカリズムとだけは両立不可能である。

弱いカテゴリカリズムによれば、同じ項数/addicityをもつ普遍者は、正確に類似しているが数的に異なる。この条件下では、普遍者の内在的性質における複製が存在しうることになってしまう*5

4.アリストテレス的定式化との比較

アリストテレス的定式化が与えなかった「離れた場所にある普遍者の間に成り立つ内在的関係」を正確な類似性による定式化は「正確な類似性」として明確に述べている。

さらに、ESFは心的個物など、空間上に存在しない個別者の可能性を許容する。このことはESFのもう一つの利点である。

 

4.1 単純な延長とタイムトラベル

ESFは素朴なアリストテレス的定式化への反例に対処することができる。

 

4.2 必然的に一つの位置しか持たない普遍者

アリストテレス的定式化に対する反例として、必然的に一つの位置しか持たない、つまり複数の位置に存在する能力を持たない普遍者が存在しうることが論じられる。

「一番面白い男である」という性質を例化する個物が同時に複数個存在することはありえないので、アリストテレス的定式化は「一番面白い男である」が普遍者である可能性を許容できない。

 

これと並行の事例がESFにも当てはまる。
「一番面白い男である」という性質を例化する存在は、その内在的な複製が存在し得ない。よってESFは「一番面白い男」を自動的に普遍者であると判定する。

また、「一番面白い男である」という性質についてもその内在的な複製が存在し得ないのでESFはこれを普遍者と判定する。

 

Ehringによるこの問題への対処は以下のようになる。

「一番面白い男である」という性質は「一番面白い唯一の男である」と書き換えが可能である。「一番面白い唯一の男である」という性質が普遍者かトロープかを決定するのは「一番面白い男の一人である」が普遍者かトロープであることだ。

「一番面白い男の一人である」はその複製が可能なので個別者であり、「一番面白い唯一の男である」はそれに従う。

5. まとめと類似性についてもう少し

  • 例化関係に着目した理論は普遍/個別の区別を捉えるというよりむしろ性質/個物の区別に終止していることを指摘した。
  • 次にアリストテレス的定式化とそれに対する反例を取り上げ、反例への対処がアリストテレス的定式化を複雑で謎めいたものにすることを論じた。
  • Williamsによる正確な類似性を用いた定式化を明確化し、それがアリストテレス的定式化を説明するものであることを論じた。

 

最後に、自然なクラストロープ唯名論を支持するにあたり、ESFが類似性をより基礎的なものとして仮定しているのではないか、という疑問は当てはまらないことを述べておく。

ESFにおける類似性の利用は、類似性が説明不可能な基礎的関係であることを意味するのではなく、類似性がどのように説明されるかとは独立である。

 

(雑感)

本章の議論のオリジナリティーはWilliamsの定式化における「内在的」の明確化と、「必然的に一つの場所しか持たない性質」への対処だと思われる。

  • 内的-内在的の概念は複製(識別不可能で同一でない存在)を用いて定義されているので、不可識別者同一律を成り立たせないのはトリヴィアルな結果ではないのか。
  • 「一番面白い男である」が普遍者だろうと個別者だろうと「一番面白い男」の複製が不可能なのは変わらないのではないか?「一番面白い男」を普遍者であると判定してしまうのでは?

 

Ehring, Douglus.(2011) "Tropes: Properties, Objects, and Mental Causation".OUP

*1:Armstrong自身はこれを否定し、色は他の普遍者から構成されていると考える。

*2:この制約によって「同じ重さの2つの部分をもつ」を内在的な性質と認めることができる。

*3:前段の定式化が持って回った形になっているのはそのため。性質が内在的に類似するとき、それは性質の持つ内在的性質によって決定されるのではなく、それ自身の本質によって他の性質と類似する。

*4:法則に登場することを重要視する者は「Ramseyの法則集/Ramsey Lawbook」での役割を性質にとって本質的であるとみなす。因果的役割を重要視するものは一定の因果的効力を持つことをある性質であることの必要十分条件であると考える。

*5:弱いカテゴリカリズム自体が、実在論、特に類似性を性質の共有によって説明する理論にとって有効な選択肢でない理由が示される。

  1. 同一でないが等しい項数の普遍者の組だけをもつ個物は、互いに正確に類似した対応物がある性質しか持っていないにも関わらず、同一の性質を共有していないので類似性を持たない。
  2. 同一でないが項数が等しい普遍者UとU'を考える。UはPとQ、U'はPとRの連言から成り立っている。この時UとU'は部分的にしか同一でないにも関わらず、互いに正確に類似する。
  3. 同一でないが項数が等しい普遍者UとPを考える。Pは項数の異なる普遍者Qと連言的普遍者U'を構成する。UとU'は部分的に同一でないにも関わらず、正確に類似した部分をもつ。