世界線終点

形而上学や行為に関する(主に哲学的な)文献の読書ログ

【SEP要約】Causation and Manipulability

因果性の操作主義的な説明についてのSEPエントリーを要約する。

Causation and Manipulability (Stanford Encyclopedia of Philosophy)

著者はJames Woodward、記述は2016年版による。

 

1.Introduction

因果性には様々な定義の仕方がある。因果性の一つの側面は「結果を目的とするとき、原因はその有効な手段となる」という言葉でとらえられる。言い換えれば、CがEの原因であるのは、「Cを操作したら、Eも変化する」という関係が成り立っているときだ。この考え方を洗練させたものが操作主義と呼ばれる一群の理論である。主な論者はGasking,Collingwood、von Wright、Menzies and Price、Woodwardなど。類似したアイデアは「構造方程式」や「因果モデル」を扱った文献にもみられ、近年Judea Pearlの著作によって再び注目を集めている。

 

Hausmanは操作可能性について、①循環しており②人間中心主義であると批判した。操作するという言葉には変化を引き起こすという含意があり、人間に操作できる物事の範囲は限られているからだ。
①については、操作主義の内部でもさらに還元主義と非還元主義に分けられる。WrightやMenzies and Priceのような哲学者は還元的理論を志向し、統計学者など非哲学者は還元を期待せず、因果言明が何を意味するのかの解明、関連する概念との関係をもとに推論を理解することを目標とすることが多い。

 

 

2.行為者性理論/Agency Theories

 

Menzies and Priceによる理論の基本的な考え方は以下のように表される。
CがDを引き起こす iff Cをもたらすことは自由な行為者がそれによってDをもたらすことのできる有効な手段である
循環性の嫌疑について、Menzies and Priceは自身の依って立つ行為者性の感覚の経験(自分が何かを「もたらす」、という感覚の経験)は因果性の概念と独立であり、上の分析は循環していないと主張する。

もう一つの主要な批判は、「1989年のサンフランシスコ地震は大陸プレートの間の亀裂を引き起こした」のように操作不可能な原因に言及する因果言明が存在すること。二人はこれに内在的かつ非因果的な特徴において類似したほかの状況で操作可能性関係が成り立つこと(上の地震の例でいえば例えば地震の状況を再現したミニチュアにおいて成り立つこと)をもって元のケースで因果関係が成り立つこととみなす。
しかし、ここで類似点として要求される「内在的かつ非因果的な特徴」は存在するのだろうか。適切にみえるミニチュアを作り上げても実物大の状況と異なる因果関係を支持する場合がある。そのようなとき、何か共有し足りない特徴があるとしたらそれは「因果的プロセス」という形でしか言及できないとWoodwardは主張する。
これに対して「もし」操作できるとしたら、という一節を付け加えることにより現実で操作不可能な原因の問題を乗り越えることも検討されているが、意味論の不明瞭さからWoodwardはそれが成功しているとは考えていない。

 

3.因果と自由な行為

MenziesとPriceは自由な行為の具体的な意味を説明しなかった。しかし、自由な行為を強制されてない行為ととらえようが、引き起こされていない行為ととらえようが、どちらにせよ二人による定義は因果性に十分ではない。自由な行為がCを操作すると同時にDに影響していた場合を考えよう。

 

4.介入

3節のような例は操作の概念を以下のように理解される「介入」によって置き換えることによって「人間の行為に言及しない形で」回避できる。

CがDを引き起こす iff Cに対する「外科的」介入がすべてCとDの間の因果的連関に由来するような変化をDにもたらす

 

5.構造方程式、有向グラフ、そして操作主義的な因果理論

Pearlは介入の概念を原始概念である因果的メカニズム、そして因果的メカニズムからなる体系である関数的因果モデルに訴えて特徴づける。
一つ一つの因果的メカニズムは$X_i=F({P}a_i, U_i)$のような式で表すことができる。ここで${P}a_i$はモデル内にある$X_i$の直接の原因を、$U_i$はモデル外の変数からの影響を意味する。
それぞれの因果的メカニズムはそれぞれ独立であり、したがって$X_i$を$x_i$にする外科的介入、つまりあるメカニズム$X_i=F({P}a_i, U_i)$を$X_i=x_i$に変更し、ほかのメカニズムをそのままにするような介入が可能になる。

介入の概念は以下のような反事実条件文によってもとらえることができる。もしXが介入によってxに定められたならば…
Woodward、Briggs、Fineらが指摘する不可能な前件を持つ条件文の問題から、この反事実条件文の意味論はLewis-Stalnaker式の可能世界意味論と差別化される必要がある*1。また、可能世界意味論における強い中心化は、どのようなモデルの下でも「もし1<X<3ならばY=3」のような条件文をX=1.5かつY=3である世界において真にしてしまう。

Pearlの枠組みの下では、$X$を$x_o$にするような介入は$do(X=x_o)$もしくは単に$dox_0$と表記される。ここで、$X$が$x_0$に設定されることと$X$が$x_0$であると観測されることは異なる。$X$と$Y$が単に$Z$を共通原因として持ち、お互いの原因とならない場合、$P(Y/X=x_0) ot=P(Y)$であるが、$P(Y/do(X=x_0))=P(Y)$となる。

WoodwardとHotchcockはPearlとは異なる形の介入を提案している。彼らは$X$に対する介入$I$は別の変数$Y$に関する以下の条件を満たすものとして定義する。

  1. $I$は$X$の唯一の原因である
  2. $I$は$X$を介さず直接に$Y$を引き起こしてはいけない
  3. $I$は$X$を介さずに$Y$にも影響するような原因を持ってはいけない
  4. $I$は$I$から$X$を通って$Y$に至る経路上にあるもの以外の変数には影響しない

PearlとWoodwardがそれぞれ主張する介入の概念はどちらも明示的に因果概念を含んでいる。したがって、介入の概念を用いて因果性を還元的に説明することはできない。

 

6.循環性のなにが問題?

Woodwardの介入の定義は因果概念を使用するものの、$X$と$Y$の間の因果関係それ自体には言及していない*2。したがって、操作可能性理論は非還元的であるがインフォーマティブであり、個々のケースに対して他の理論と違う回答を下しうる。

 

7.因果的概念の複数性

循環性が問題でない2つ目の理由は、Woodwardによると複数ある因果概念を介入によって説明できるからだ。タイプ因果の一種としての総計的原因もしくは網羅的原因と直接原因は区別されなくてはならないとWoodwardは考える。総計的原因にはこれまで述べてきた介入を、直接原因には体系内のほかのすべての値を固定する介入を用いて定義することができる*3。また、後者の介入を用いればトークン因果における先取り、多重決定の問題を解決できる*4

 

8.人間の行為が関与しない介入

 Menzies and PriceやWoodwardが採用する介入の概念は人間が存在しなくても成立しうる。

 

9.介入と反事実条件文

操作主義はトークン因果に加えてタイプ因果も扱うことを除けば、Lewis式可能世界意味論操作主義の意味論は類似している。Brigg (2012)の指摘によれば操作主義の意味論と可能世界意味論は「強い中心化」、$plor{q}$の前件を$p$に強化することの禁止において異なるとされる。

 

10.可能な介入、不可能な介入

「月の重力が潮の動きを引き起こす」という因果言明を考える*5。ここで定義を満たすような介入、つまり惑星の位置関係をそのままにして重力だけを変更する介入は存在し得るか。

 

11.操作主義の視野

 Pearlは宇宙全体の時間切片が単位時間後の宇宙全体の時間切片の原因であることを否定する。ここでPearlは変数の設定以上のものを含む介入を意味しているように思われる。この問題に関連して、場の方程式とエネルギー・運動量テンソルの関係は因果関係かという疑問が生じる。多くの哲学者は因果関係とは認めないだろうが、それに合致する結論を出すためには独立した操作の可能性に制限を課さなければならない。

 

12. 論理的、概念的、形而上学的理由から操作不可能な(一見したところの)原因
「物理的であること」といった原因の候補は、それを変化させるということがどのようなことがはっきりしないために操作不可能である。

 

13. 操作主義に対する反論
反事実条件文が法則やメカニズムに基礎付けられることなく真になることはありえない。よって、法則もしくはメカニズムに直接訴える説明こそが因果的説明としてふさわしい。しかし、この反論はまた別の形而上学的正当化を必要とする。
また、Cartwrightは複数主義の立場から操作主義が不当に統合された理論であり、因果性を測定する他の方法がある可能性を見落としている、と批判した。

 

14. 最近の発展
値を決定論的に固定せず、確率分布を与える介入
原因をそれより前の因子から切り離さない介入

 

まとめ

操作主義は特殊な種類の反事実条件文の意味論の1カテゴリーである
操作は人間の行為を用いて、または用いずに定義できる
操作は因果的な概念であり得、その場合理論は非還元的になる

*1:不可能な前件を持つ反事実条件文が必然的に真になる問題については、Kim and Maslen (2006)で「ふり」を利用した意味論が提案されている。

*2:要約者には$X$と$Y$の間の(因果的)経路に言及しているように見える。

*3:バックトラッキングの禁止、つまり過去の値を固定する人工的な処理を省けるという可能世界意味論に対する優位点を放棄していないか。

*4:打ち負かしが解決できるのかは疑問。

*5:これが因果言明であるかどうかは微妙なところ。